カソリング

生涯旅人、賀曽利隆の旅日記 60代編

アドレス日本一周 east[158]

投稿日:2014年1月19日

一宮巡り

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2008年12月19日

 角田岬からは国道402号→県道46号で北国街道(北陸街道)の県道2号に出る。
 岩室温泉のある岩室を通り、弥彦へ。ここでは越後の一宮の弥彦神社を参拝する。堂々とした造りの本殿。背後には弥彦山(635m)がそびえ立ち、山頂には弥彦神社の奥宮がある。
 ぼくが「一宮めぐり」をするようになったのは「50代編日本一周」からである。
「50代編日本一周」(1999年)では、スズキDJEBEL250で4万キロ近くを走ったが、このときの一番のテーマは「国」。日本を県単位で見るのではなく、国を意識し、「全国(くに)」をまわろうとした。
 我々、日本人のDNAには千何百年もの旧国の歴史がしみついているので、各国には国独特の文化や気質が色濃く残っている。そこでたとえば「静岡県」だと、静岡県で見るのではなく、旧国の「伊豆国」、「駿河国」、「遠江国」の3国で見ようとした。国境にもトコトンこだわることにした。
 といっても国に焦点を当てての旅の仕方は難しい。国の中心の国府は今ではほとんど残っていないし、各国に造られた国分寺もほとんど残っていない。いろいろと考えた末に、一宮に焦点を当て、「一宮めぐり」をすることにした。信じられないことだが、日本全国68ヵ国すべてに一宮は残っている。
「50代編日本一周」は1999年4月1日から10月29日まで、「西日本編」と「東日本編」の2分割でまわった。旅の正味の日数は122日だ。
「西日本編」では東京を出発すると西へ。相模の寒川神社、伊豆の三島大社、駿河の浅間大社、遠江の小国神社…と諸国の一宮を巡った。
「東日本編」では東京を出発すと東へ。安房国の安房神社、上総国の玉前神社、下総国の香取神宮、常陸国の鹿島神宮…と同じく諸国の一宮を巡った。
「一宮めぐり」をしてすぐに気のつくことは、この弥彦神社もそうだが、鳥居をくぐって一歩、神域に入ると清浄な空気が流れているということだ。思わず深呼吸して胸いっぱいに空気を吸いたくなる。これは一宮の大きな魅力。一宮は自然の宝庫といっていい。
 たとえば京都の下鴨神社(賀茂御祖神社)は山城国の一宮だが、境内林の「糺の森」は関西圏では一番の手つかずの森になっている。紀伊国の一宮の日前神宮と国懸神宮は和歌山市内にあるが、深い森にすっぽりと囲まれ、和歌山市内にいることを忘れてしまう。紀伊山地のどんなに奥に入っても、これだけの自然林はない。能登の一宮は気多神社。ここの本殿の奥は昼でも暗い「いらずの森」と呼ばれる森になっているが、北陸では随一の原生林だ。常陸の鹿島神宮の神宮林も広大なもので関東随一の原生林になっている。
 阿波国の大麻比古神社や薩摩国の枚聞神社には樹齢千年を超える大楠がある。豊後国の柞原八幡宮の大楠などは樹齢3千年。このように一宮には日本有数の巨樹が何本もある。
 駿河国の浅間大社の湧玉池は富士山の膨大な水量の湧水で、そのまま川となって駿河湾に流れ出ていく。肥後国の阿蘇神社には九州屈指の名水の「神乃泉」がある。これは阿蘇山の湧水。一宮は水の宝庫でもある。
 安芸国の厳島神社は宮島に、丹後国の籠神社は天橋立にと、絶景の「日本三景」にも一宮はある。
 古代日本は「五畿七道」といわれるように大和、山城、河内、摂津、和泉の畿内の5国を中心に、東海道、東山道、北陸道、山陰道、山陽道、南海道、西海道の7道から成っていた。現在では東海道や北陸道というと街道名として使われているが、もともとは行政地域名。日本は「道州制」を敷いていた。「五畿七道」に全部で68ヵ国の国があった。
「50代編日本一周」では、こうして「一宮めぐり」をすることによって日本本土の63ヵ国を巡った。
 スズキの50?バイク、SMX50を走らせての「島めぐり日本一周」(2001年〜2002年)では、淡路国の伊弉諾神宮、佐渡国の度津神社、隠岐国の水若酢神社と由良比女神社、壱岐国の天手長男神社、対馬国の海神神社と、島国5国の一宮を巡った。
 こうしてカソリ、日本の全国(くに)68ヵ国に足を踏み入れたのだ。

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越後の一宮、弥彦神社にやってきた
弥彦神社を参拝。本殿の裏手は杉木立


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